台湾帰りの双子妊婦ポポのblog

台湾で体外受精、双子妊娠、帰国、そして妊娠中の現在を記録します

親の家の片付けと十年日記の再開(19w3d)

こんにちは、双子妊婦のポポです。

今日から約一年ぶりに十年日記を再開しました!

今日はその理由と経緯を書きたいと思います。

 

今住んでいるこの家は、私が小学生の頃から住んでいたマンションをリフォームしたものだ、ということは前にも書きましたが、そのリフォーム前にため込んでいた家族の物を片付けるのは本当に大変でした。

当時住んでいた家から電車で一時間かけて、毎週末片付けに通い、延びに延びて半年ほどかかりましたかね。その間に、住んでいた家の更新期限が来て、やむなくレオパレスに二か月住み、リフォームが終わるのを待ちきれずに引っ越してきた、という経緯があります。

引っ越し当初はお風呂がまだ完成していなくて、近所の銭湯に通っていたのが懐かしい思い出です。その他にも、キッチンの排水が完成していなくて、空の灯油タンクに排水を貯めて、トイレに流しながら暮らしていました…。

 

リフォームが長引いた原因は、物を捨てるのに、母が難色を示していたことです。捨てる・捨てないの判断をするのにも、ひとつひとつの書類からじっくり見て、丁寧に仕分けていくので、これではいつになっても終わらない、と頭を抱える日々でした。

親の家の片付け、というのは今時のホットな話題のようで、片付け本も色々出てきていますが、当時は私も本を何冊も読み漁り、なんとか母に物を捨てさせようと懸命でした。

一ヶ月ほど母のペースに付き合っていたのですが、全く進歩のないゴミ屋敷に、ある日、私の限界が来ました。突然涙が止まらなくなり、なぜ家族四人もいるのに、私一人でこんな量の荷物の処理を責任負わなきゃいけないのだという怒りもふつふつと湧いてきました。

最終的には強硬手段に…。母の不在を狙い、ほとんどの物を半透明ゴミ袋につっこんで口を縛り、ゴミ袋の山を作り上げました。そして戻ってきた母には、「この中からもし必要なものがあったら、自分で取り出して」と言ったのです。

ゴミ袋の前で何時間も、袋を開いたり締め直したりしながら、必要なものをチョボチョボと拾い出していく母の背中……一度、そこに涙を見たことがありました。母も、この家を片付けるのは長年の希望でしたし、これだけの量を捨てていかなければどうしようもない、ということは頭では分かっていたのだそうですが、思い出たちとのあまりにも急激な別れは、心身にこたえるものがあっても不思議ではありません。

私自身も限界が来ていたこともあり、また、レオパレス生活が長引けばその分の出費負担を夫に頼まなければいけないという責任感もあり、その後も片付けの速度を緩めることはできませんでした。しかし、母の涙に気付いた時の胸の痛みは、いまだに鋭く突き刺さっています。

 

私がより分けたゴミ袋の山から、母は約三分の一弱を拾い出し、毎日少しずつ自宅に持ち帰っていきました。その結果、母の住む家は更に狭くなり、兄にチクチクと「地震が来たら危ないよ」と言われるように…。見かねた私は、リフォーム後の空いた一部屋を母に明け渡して、すぐ使わないものを置いていいよと言いました。

リフォーム前の片付けで、うちから運ばれた荷物が、リフォーム後にまた戻ってくる…。なんだか無駄なことをしているような徒労感もありましたが、頑張って片付けをしてくれた母が暮らしやすくなるのは当然のことだという気持ちもありました。夫は時々、ぼそりと「この荷物いつ片付くんだ」などと言いますが、基本的に母のペースを尊重してくれて、黙って見守ってくれています。ありがたい限りです。

 

リフォーム後、一年もしないうちに夫の台湾転勤が決まり、私たちは家中の荷物を会社が用意してくれた倉庫に預けて台湾に移りました。その間、この家は賃貸として貸しだすことができたので、いくらか母の生活費の足しにもなったかと思います。

そして、このたび台湾から帰国するにあたり、再びこの家に帰ってきました。

倉庫に預けていた荷物の中には、母の物も当然あります。2年強、見ていなかっただけで、なんと母はすっかり自分の荷物の存在を忘れていました!当初は、私たちの引っ越し荷物の片付けを手伝うよと洋々とやってきた母でしたが、自分の荷物の多さに目を丸くして意気消沈してしまいました。

「忘れているくらいなら、見せないまま捨てても良かったんじゃ…?」

一瞬そんな気持ちも浮かびましたが、やはり本人はどうしても自分でひとつひとつ見て選びたいとのこと。一度は「捨てられない」と思って拾った荷物でしたが、2年ちょっとの時を経て、今では「ほとんど捨てられそう」と言っているので、これからの片付けに期待が持てるこの頃です。

 

この部屋の母の荷物を片付けたら、空いたスペースに、次は母の家の荷物を運んできて、またこの家で片付けをしてもらおうかなと思っています。その方が、片付けが進む気がするのです。この提案には母も同意していました。

「もう、外からの力がないと、片付けできなくなっちゃったの」と言う母は、心なしか、台湾に行く前の母よりも力を失ったように見えました。

 

私としては母がこの世を去ったあとに、私の責任で片付けてもよいのですが、母が自分で片付けることで、自分の人生を振り返って、満足感を持てるのではないかという期待もあります。仕事に育児に、と、人生ずっと走りっぱなしだった母にとって、立ち止まって自分を見つめる時間は全くと言っていいほどなかったからです。

母は、放っておけば今でもバイトにボランティアにと走り回っています。やりたいことをやってもらいつつ、片付けもするというのは、実際は負担も大きいでしょう。でも、うちに来てくれれば、一緒にごはんを食べたり、家族団らんを楽しむこともできます。私が台湾から戻ってきてからは、母は平均して週に2、3度も来るようになりました。母も望んでいるのかなとも思うのです。

どんな風に片付けを進めていくのが母にとって良いのかは、そのつど、母の様子を見ながら相談して進めていくつもりです。

 

なかなか十年日記の話にまで届きませんね(笑)

実は、片付けきれなかった母の荷物の中に、私や兄の子供時代の物も一箱分あったのです。写生会で描いた絵や、通知表、そして20冊以上の保育園の先生との連絡帳に、母子手帳まで(もっとあったのですが、一箱に収まらなかった分は私と兄で処分しました)。

その他にも、母の手帳(日記も含む)が50冊以上ありました。毎年の手帳や家計簿も一冊も欠かさず大事に持っていたのです。

 

おとなになってから、自分が子供の頃の連絡帳を見るというのは、感慨深いものがあります。また、母の子供時代の日記帳なども、非常に興味深く、これらは私にとっても宝物です。

こんな経験から、私も、自分自身の記録を残したい!と強く思うようになったのです。

「育児日記」をつけていって、大きくなった子どもにプレゼントする、という人もいると聞いて、それも素敵だなと思いました。

 ですが同時に、いつか片付けをする日のために「できるだけコンパクトに」まとめておく、ということも考えるようになりました。

そこで私がたどりついた結論が「十年日記」だったんですよね。

十年で一冊なら、子どもが二十歳になるまででも、二冊で済むし。

生後半年は時間軸つきの記録ノートを別に用意するとして、十年日記は妊娠中の今からこつこつ毎日の心情を綴っていこうかなと思っています。

また、それとは別にBirthday Bookの二十歳まで使えるものを用意して、子ども向けにはそれをプレゼントしようかなと。自分の日記をそのまま渡すのは、ちょっと抵抗もあります(笑)

 

そんなわけで今日、日記を買うべく色々なサイトを見ていたのですが、はたと気づいたのが私は数年前に十年日記をつけていなかったっけ?ということ。

本棚を探したらありましたよ!2015年に始めたので、まだまだ全然使えます。去年は全く使わなかったので、すっかり忘れていたんですね(汗)あやうく、同じものをもう一度買う羽目になるところでした。あぁ、よかった。

 

書き忘れていた一年間は、グーグルカレンダーの記録などを見ながら、できるだけ埋めていこうと思います。これから、書けない日もあるだろうけど、ゆるく続けていきたいです!